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| 地価下落のメカニズム 2003/7/31 |
| 「年収300万円時代を生き抜く経済学」森永卓郎著・光文社より抜粋 −−−いま起きている地価の下落は、バブルの精算を通り越している。 ![]() 2002年11月に発表された『経済財政白書』に掲載された理論地価と現実の地価グラフです。収益還元法で決まる理論地価は、現実の地価を実によく説明している。図でも分かるように1981年87年、93年から96年については、理論地価と現実地価がほぼ同じと言ってもよいだろう。 ところが、現実の地価と理論地価が乖離している期間が二つある。 88年から92年と、97年から2001年である。88年から92年の期間は、現実の地価が理論地価を大幅に上回っている。ご存じのとおり、バブルが発生した期間である。 一方、97年以降現在までの期間は、現実の地価が理論地価を大幅に下回っているのだ。特に、2001年は理論地価が現実の地価の2.3倍という大幅な乖離が生じているのだ。 91年のバブル最盛期のとき、現実の地価は理論地価の1.8倍だった。いま起きている地価下落の異常さは、10年前のバブルのときよりも、はるかに大きいのである。 なぜそんなことが起きているのか。そのメカニズムはバブルの発生時と完全に同じである。 よく、バブルの時には、人々は集団的熱狂状態だったと言われる。しかし、それは人々が狂っていたということでは決してない。 バブル期には、一般のサラリーマンまでが6000万円とか8000万円といった、いまにして思えばとんでもなく高い価格のマンションを買った。しかし、そうしたマンションを買ったサラリーマンも当時から「高いな」とは感じていたのだ。それでも買ったのは、「来年になったら、もっと上がる」と思ったからだ。特に不動産投資で儲けようとしたのではない。 単に「来年になったらもう買えなくなってしまう」という恐怖があったから、無理してでも買ったのである。いま起きていることはちょうどその裏返しだ。 土地の値段がまだ下がると皆が思うので、買い手がつかない。だから地価が下がりつづけてしまう。完全な「逆バブル」の発生である。 明らかに異常な地価下落が起きているのだ。−−− 私の実感も、まさにその通りです。 ビルトインカーポートだけでも100万円では出来ないのです。 ニュータウンの造成に必要な金額を考えても、現在の地価はまさに安すぎ。 しかし、安すぎる価格は供給を止め、必ず適正地価まで戻ります。 問題は、それがいつのことか見えないことです。 |
| あなたは環境派 それとも利便派 2003/8/1 |
| 環境と利便性、特に通勤の利便性は相反する物。 全部整ったとしたら、とんでもなく高い土地になる。 予算の制限がある中で環境か便利さを選ぶとしたらあなたはどっち? 私は、現在は環境派、「なぜ今は」というかというと、毎日3匹の犬の散歩が日課。駅前や都会では、犬3匹飼えそうもないし、散歩などするところがない。それでなくとも、来る人すべてに吠えることが仕事と思っている我が家の番犬。近所迷惑など考えもしない。(飼い主のしつけが悪いのです、ごめんなさい) 2〜3分も歩けば野原があり犬たちはのびのびと駆け回っている。 こんな環境だから、犬が飼えるのだが。 子供にとっても、夏はカブトムシやクワガタとり、そして川でキャンプしようと思えば、車で30分も走れば自然の川が待っている。今でこそ、市民プールも出来ているのだが、昔は無かったのでもっぱら川でした。 子供や家内にとって、私の通勤の便利さよりも毎日の生活が豊かであった方がいいに決まっている。いまは、車社会。一家に二台は持っている。車で駅まで、あとは有料駐車場を契約すればすむことだから。田舎は、駅前駐車場も安いからバスなどを使う費用ですんでしまう。 駅から離れた分、広い土地を安い価格で買うことが出来るし、借入金額が少ないので返済も楽になる。 「家族のことを中心に考えるか、通勤を中心に考えるのか」ではないか。しかし、ブランド品を買いたい。映画も見たい、ちょっと旅行などには不自由だ。まあ、タマにしかないことだから仕方がないかもしれません。 住めば都という言葉もあり、20年も住んでいると妙に落ち着いてしまうのかも。最近土地や建物の価格が下がったせいか、30代前半で自宅を造る人が増えている。ただ、なんとなく自宅を求めるのではなく目的を明確にすることを勧めています。 環境なの、利便性なの・・・・・・? アメリカの不動産購入には3つのルールがあるといいます。 ナンだと思いますか。 1にロケーション 2にロケーション 3にロケーション だそうです。 勿論便利なこともロケーションですし、周辺環境や自然、そして眺望も大切なロケーションです。 鳩山ニュータウンは、都心への利便性はないがそれ以外のロケーションが優れた街と言って良いでしょう。 |
| あなたの我が家の防犯は…… 2003/8/4 |
| 「水と安全はタダ」といわれていた日本の安全神話は過去の物。 飲み水はミネラルウォーターを買い、防犯対策として玄関や窓に複雑な鍵を取り付ける時代になってきた。特に犯罪に関しては新聞やテレビ報道で痛ましい事件が相次いでいる。 なんと言っても、犯罪の手口が荒いのが特長だ。 銀行の自動支払機は、重機で破壊して車で持ち去る時代がくるなんて誰が予想した。 考えられないよね。 住宅だって、ピッキングなどの被害が相次いでいる。 「風が吹けば桶屋が儲かる」じゃないけど鍵の会社やサッシ屋には玄関の交換や鍵の追加の注文が相次いでいるという。金槌などで簡単に破りにくいガラスなどあるが、ビックリするほど高い。 侵入箇所は玄関か窓しかないわけで、屋根を破ってはいることなどは考えられない。突き詰めると、建築構造的に侵入されにくくするか、セキュリティーシステムを導入するしか方法はないようだ。 当社でも、自宅にセコムなどのシステムを導入する方が増えているけど、毎月そこそこの金額負担になるためすべての人が導入というわけにはいかない。安全も、お金次第と言うことなんだろうか。 聞いた話だが、これらの警備会社は異常があったら現場に駆けつけるが、けっして泥棒と現場で出会うことはないという。とっくみあいになって警備員が危険な目に遭うことがないように安全を優先しているためだとか。 今日、警備システムを開発した会社から意見を求められたのです。 「機械は、100年以上の耐久性がある」「他社に比べて半額で出来る」などなど 良い点をアピールしてから「どうぞご意見を」という。 けなすわけではないけれど、建物が30年しか持たないのに????????? 機械が百年なんて意味無い。半額??????? 悲しいことに、被害に遭わない限り余分なお金を払うことは躊躇するのが人間だ。いい例が、地震被害が続出しても耐震補強は遅々としてすすまない。 それなのに、何十万もするシステムを導入するか? ・・・しないよね。 往々にして、作り手の勝手な思いこみが間違えた製品を開発させてしまう。そもそも、いまの防犯システムは侵入されたときのことを中心に考えている。窓ガラスを破られたら防犯ブザーが鳴る。確かに、効果はあるかもしれないが、ガラスが壊されたという被害は残るわけだ。 一軒の家に侵入される危険性のある窓などは20カ所ぐらいあるわけで、そのすべてに高価な防犯ガラス、セキュリティーシステムを取り付けることは多額の出費になってしまう。窓に格子をつけたとしても、簡単に取り付けできる物は簡単に取り外しも出来るということになる。意味ないじゃん。 もっと違った防犯システムが安く設置できる日がきてほしい。 |
| 新築を超える再生住宅のすすめ 2003/8/8 |
| いま、リフォーム ブームといわれている。 テレビは勿論、新聞や住宅雑誌、婦人向けの雑誌にも特集が組まれている。 しかし、このリフォームの定義がハッキリしない。 日本語では、修繕に相当するのだろうか。 修繕とは、古くなった物をもう一度戻すこと。キッチンやお風呂をなおしたり部屋の内装を新しくしたりすること。 新しい器具に直すことは、間違いなく現在使っている物よりも便利で使い勝手が良くなるけど、あくまでも一部分の改善でしかない。 再生住宅に込められた意味は、新築時の住宅よりもはるかに高い質の住宅に甦らせることを言う。ほとんどの人が「えぇー・・・そこまで出来るの」「信じられないほど変わったね」とビックリしたり、感動したりする。 それは、いま目の前にある住宅からは想像できない外観や間取り空間の構成であったり快適な環境ができあがるからだ。 古い建物の持つ思い出やこだわりを十分に生かしながら、新しい命を吹き込むのが再生住宅になる。 正直、再生住宅は新築より技術的にも創造力においても高いレベルが要求される。技術や経験、知識などあらゆる能力が要求されると言って過言ではない。再生に取り組むには、しっかりとした構造や現場知識の裏付けがなければ怖くて出来ない。その意味では、再生住宅に比べて新築はすごく簡単ともいえる。「だから、みんな新築住宅をやりたがる」と言っても良い。 一般的なリフォームでは決して見えない”構造体”を正しく診断・評価して、「新築」と同等以上の性能・デザイン・品質を再生住宅は実現することが可能だ。 しかし、現実には「古くなった木造住宅では、床が沈んでいるとか、柱が曲がっているなど問題を抱えている場合が多い」これらを正常な状態に戻し、生かせるものを活用していくことを実践しようとすると、とっても難しい物です。 現在の建築基準法に適合するように耐震性能やシックハウス対策など全面的に改善していくことになる。法的な知識だけでなく、新築住宅を十分手がけてきた会社や設計士でなければ出来ないのが再生住宅と言っても良い。そこには、新築住宅のように「売る」「買う」といった関係は存在しない。 当然、主役はライセンスを持つ設計士があなたの窓口となっていく。 リフォームや新築のように営業マンが図面と見積もりを元に打ち合わせをする世界はない。「そんな面倒なことはいやだ」と思うかもしれないが、だからこそ本物の建築のプロが必要だと思う。意外と、ライセンスはあるが実力が・・・・・という人も多いので注意が必要だ。できれば本人が担当した再生住宅の現場、無い場合は仕方がない、新築の現場を見せてもらうことだ。見ないよりは判断基準となるから。 |
| 再生住宅を依頼するときは、 構造に詳しい人が最低条件 2003/8/16 |
| 「建築を依頼するにはどんな基準で業者を選んだらいいの?」「大きい会社だったら信頼できるのか?」というと残念だがそうともいえない。 会社が大きいことと、あなたの夢を期待以上にかなえてくれることとは一致しない。むしろ、大きいことの弊害。分業になっているためあなたのかゆいところまで手が届かない危険がある。新築ならまだしも、再生住宅となると経験と技術の裏付けは勿論、その場の問題を的確に処理する能力が要求されているからだ。 特に新築と違って出来るだけ既存の構造体を再利用するためには、構造に詳しい設計士や監督が必要とされる。 ひとつひとつの現場の状況は当然違う。しかし、どんな現場でも必ず最初にやることがある。なかでも、大事なのが既存の建物の状況を確認する作業だ。 床下に潜り、小屋裏に上がる。普段見ることのない場所。 新築時からあなたが絶対のぞいたことのない場所こそ、構造体の状況を判断できるところだ。だからこそ作業服やつなぎなどの服装でなければ出来ない作業だ。誰だって、暗くてホコリだらけの場所にははいりたくない。それだけに、その業者の姿勢が見えるのではないだろうか。 しかし、「ただ潜ったり、上ったりすれば良いのか」というとちがう。構造について十分な知識と経験を持った人でないと見たところで判断はつかないからだ。 よく、リフォームの詐欺商法で床下に潜り脅して多額のリフォーム工事を勧める業者が問題になっている。当然作業服を着用しているわけで悪徳業者は人を騙すためには限りなく知恵を使っている。残念なことに、騙すことが目的のため建築知識など全く持っていない、持っているのはだましのテクニックだけ。こんな業者に引っかかってほしくないけど、作業服を着用し、それなりのライセンスを持った人が検査に必要な道具を駆使する。その場であなたに見えないところを見せ、的確に説明してくれる。医者が問診からレントゲン検査にすすみ、体の状況を的確に説明するのと中身は同じだと思えばよい。 昨日、私は歯医者に行った。魚で育ったためか貧しかったからか知らないが、歯だけは自信があったが、年のためかどうも冷たい物を飲むと浸みてしたい。歯槽膿漏が進んでいたのだ。しかし、歯医者の使う言葉は、幼児を扱うように優しい。いや優しすぎて気持ち悪い。優しい言葉で「痛くないですよー、写真を撮りますからね、もし痛かったら手をあげて下さいねー」こっちは、歯医者には免疫がない。正直怖いのだ。いつの間にか「手をぎゅうー」と握りしめていた。 歯の写真を見せてくれたが、50年以上使っていた歯は、見ることが出来ないくらい汚く歯茎はふくらみ、歯の根元はやせ細っている。デンターラ○オン、なにも効かない・・・・これからこわい治療が始まるのだ。 なぜ、歯の話をしたか。50年間毎日使い続けて片時も離れることの無かった歯。しかし、一度として自分の目で中を見ることがなかったわけです。 家だって同じ。毎日生活していても、中をのぞくことなど全くない。リフォームのほとんどは不便なところを交換するだけの工事。服を取り替えるような物だ。しかし、見えないところだからこそ検査してみる必要がある。 世界最古の木造建築といわれる法隆寺。 1200年とも言われる歴史を刻んできた秘密は、材料や良い職人がいた、それだけではない。80年に一回の小修理、400年に一度の大修理がきっちりとされてきたからだ。たった30年といわれる日本の家、必要な検査や修理をすれば100年以上持つのだ。 |
| 隅田川の花火大会・・・ いえいえ 江戸川葛西の花火大会を楽しみました 2003/8/18 |
| 台風、冷夏の今年。 ビヤガーデン、デパートなど大きな影響を受けている。 いま、あちらこちらで行われてる夏の風物詩・花火大会も同じようだ。 参加には浴衣が条件などといわれたので、実に三十年ぶりに浴衣をあつらえ下駄を買ってしまった。いつまたこれらの小道具を使うことになるのか分からないのに。川越からみると、近くて遠いのが都内。楽しければ楽しいほど帰りはつらい。 というわけで、お台場のホテル日航東京に一泊。てなわけで結構準備万端。生まれてから初めて、現代風屋形船に乗りおいしい揚げたての天ぷら、お酒を友に花火大会を堪能してきた。花火は1時間だがそれこそ花火の真下でみる華やかさは格別な物だ。「こんな気候だからもし花火が中止になったら3千円割り引きます」と言われていたのだが主役がなくて割り引かれたって楽しくはない。 それこそ、ネタのない寿司みたいなものだ。 幸い天気にも恵まれ色とりどりの花火の競演を妻と一緒に楽しめた。 結婚してから33年。人並みには夫婦で出かけているのだが中途半端に近い都内を一緒に見ることは少ない。 葛西や湾岸地区はビックリするほど変わっている。 昔はほこりっぽい寂しい地域だったところにマンションが争うように建築中。都心までのアクセスも便利だから住むには良いところかもしれないが地震がきたら傾くなど心配いらないのだろうか。 これだけ一挙に人が増えると、昔のニュータウン同様に学校などが不足するのではないだろうか。そして30年後は・・・・・・・ 同じ事の繰り返しがいまでも日本各地で起きている。 「家が使い捨て」にされているように地域さえも使い捨てになっていってしまうのだろうか。地域の活性化には元々あった知恵が必要な気がする。スーパーが全盛となり小さな商店が次々と姿を消す。シャッターの閉まった商店街は見るからに寂しい。売り方や買い方だって人が介在することはなくなった。目の前で料理の仕方まで教えてくれた魚屋の主人や奥さんがいなくなり、料理さえもテレビや本でレシピを見ながらする時代。 ニュータウンの住まい手達も、熟年夫婦のみの家庭が増えている。まもなく、若葉マークではないシールのお世話になり、車の運転も難しい時代が控えている。出前があれば毎日の生活は買い物に行かなくても成り立つがスーパーは出前までしてくれるのだろうか。お客がいなくなれば閉鎖をすることになり、お店のない環境の中に住民だけが取り残されてしまう。 時代とか歴史とかの縦軸が無くなり今という横軸だけが存在している。 家を30年で建て替える。いつもそのとき必要とすることだけを追いかけているのではないだろうか。花火は一瞬だけどその技術や伝統は今でも継承され私たち夫婦の夏を思い出深い物にしてくれたのに。 |
| 「故郷は遠くにありて想うもの・・・」 2003/8/22 |
| 天候に恵まれず今夏の帰省は、散々な目に遭った人が多いようだ。 一年に一度か二度しかない懐かしい故郷や知人との出会いを楽しみにしていたのに。しかし、疲れたかもしれないが故郷ですごした楽しみは変わることはない。 私の住む埼玉県川越市は、歴史的な城下町が観光客を呼び寄せる中心街があり、少しはずれるとそこには豊かな緑と川に囲まれている田園地帯が広がる。 都会化したと言ってもこの土地で幼い時、青年時代を過ごし今は異なる土地に住んでいる人にとっては懐かしい故郷に違いない。 私は30年程の歴史を持つニュータウンに住んでいる。30年も住んだ町は本来住む人にとって故郷のはずなのだが、住んでいる多くの人たちにとって、心の故郷は別にある。 それは、いま例え60、70歳であろうとその人が幼い時を過ごした遠く離れた田舎です。むしろ、年を取れば取るほど幼い日を過ごした故郷が懐かしくなるのではないだろうか。 団地は多くの住民にとって本当の故郷といえないが、しかし、ここで育った子供達にとってはこの団地こそ故郷である。帰る故郷だからこそ、お盆の時期やお正月になると他府県ナンバーの車が多くなる。 孫達をつれて子供が故郷に帰ってきたのだ。 不思議なことに、どんな故郷であろうと幼いときから住み続けた人には「今の場所が故郷なんだ」と考えることは少ないはず。あらためて、故郷など考えることさえない。故郷とは、離れて生活しているからこそ懐かしく思い出すもの。 しかし、人は勝手なもので遠く離れて生活しているほどその故郷が大きく変わってほしいとは考えていない。いやむしろ昔のまま残してほしいとさえ考えてしまう。 田畑がつぶされ建て売り住宅が建ち並ぶ姿などを見ると悲しくなってしまうのは 私だけなのだろうか。 それは、30年もたてば、昔のままというわけにはいかないのは当然だ。 日本の住宅は、寿命が30年もない。 団地の建物も、当時のまま残っている家を探す方が大変だ。 小さい住まいから大きな住まいに建て替えたのに「子供達が出て行って使うことのない部屋が残った」という話を良く耳にする。しかし、出来るだけ多く子供達に故郷に帰ってきてほしければいつでも帰れる部屋を用意してあげることも大切だ。帰れる家と、そこに住む家族がいてこそ、そこがどんな場所であれ「帰るべき故郷」といえるからだ。 遠く離れていればこそ故郷を意識しないままその場所に住み続けた人には分からない「故郷」を濃密に感じることが出来る。 住み続けている人たちには「故郷」が意識されることは少ない。 お盆やお正月は、遠く離れて故郷を持つ人にとって何にも代え難い大切な時期だといえる。 |
| 生まれ故郷に行ってきました。 故郷は遠くにありて・・・感じます。 2003/8/28 |
| 私の田舎の住所は、千葉県富津市上総湊・・・・だと思うがアクアラインを通るとビックリするほど神奈川と田舎は近いのだ。 広々と整備された道路に沿って外食店が軒を並べ私の住む郊外となんら変わらない道がつづくのだが、その道が君津をすぎるとそれこそ昔と変わらない道や風景に。君津には新日本製鐵の工場があり、市の財政も豊かなのだろうが君津をすぎたとたんそこから先の道はどうしてここまで違うのかと思うほど狭く曲がりくねった昔ながらの道が待っている。 一方、山の中に出来た有料道路は館山や鴨川方面には延びて都心部から房総半島の先端にある観光地へ快適なドライブが出来るようだ。 中間の房総中部は開発するほどの価値もないのか、時間がそこだけ止まっているみたい。 久しぶりに懐かしい故郷を求める私にとってはその方がありがたいのだが毎日の生活の場である地元の人には不便なのかもしれない。 それにしても久しぶりの故郷。 なつかしい、20年ぶり、いやもっと長い間訪れてないかも。まずは、九つか十のときに故郷から離れるときに乗った内房線の上総湊駅を訪ねた。 私の記憶に残っている駅、待合室のある改札口から線路を渡りホームに出る。ホームには雨風をしのぐ小さな建物がポッンと建っている。 「鉄道員」のシーンにあったような昔とそれほど変わらない駅がそこに残っていた。日本中が開発されたのに、時代に取り残されたような駅や駅前といえるかどうか活気のない風景がある。ここには不動産業の一番のポイント、駅から徒歩○○分は存在しない。 海辺の小さな村にあった私が暮らした家。 幼いときに、日の暮れるまで遊んだ神社や海、川、周りの家々までとっても小さく見える。ガリバーがこびとの国を見たときの目線に近いのかもしれない。 こんなにも道は狭かったのか、とてつもなく大きいと思った神社の小さいこと。変わってしまったのが漁師の住む部落の風景。海岸は、護岸工事のためなのか広かった砂浜は姿を消し道路にへばりつく程度の場所しかない。 そこに海水浴にきた人たちがパラパラと家族で楽しんでいる。私の住む団地にあるような家が、古くなった漁師の家にとってかわっている。日本中どこでも見られる風景だが、自分の住んだ田舎にはふさわしくない。 「勝手な思いを抱かせた」ひさしぶりの故郷。 「故郷は遠くにありて・・・・は思い出の中に残しておいてこそ大切な故郷」と言うことなのか。 毎年田舎に帰る人と違い、今浦島のように何十年ぶりに訪れた故郷は少しほろ苦いものでした。田舎はいつまでも田舎ではないし、住人が代わり風景も変わる。変わるのが当たり前、改めて、感じた一日でした。 |